おまえとたにんのこと。


親戚だとか家族が苦手だ。

家族が集まる、親戚が集まる、極力行きたくは、ない。

嫌いなわけではない。苦手なのだ。



離れた兄弟が二人。

気づいた時には兄二人はもう家に居なかったし、

わたしもさっさと家から出たかった。




もうすぐ23歳という、

社会的、数字的には大人らしい存在になりつつある自分でも、

親の前では明らかに子供でしかなく

いくら私が25になろうが、30になろうが

一回り近く離れた兄とは年の差は縮まることは無く

私が十歳、年をとれば、その分彼らも年をとるのだ。

私は多田家の中ではいつまでたっても

末っ子の明日香なのだ。






重要なものごとは私の知らないところで進み、

知らないところで済まされていった。


私が当事者に成らずとも

物事は「大人」たちが済ませてくれているのだ。



お父さんが入院した。

じいさんがぶっ倒れた。

ばあさんが骨を折った。

兄ちゃんが会社を辞めた。





そんなことは私の知らないところで起こっては、流れていった。

いつも「そうだったんだ。知らなかったよ。」

で済まされては、楽だった。

出来れば面倒くさいことは関わりたくない。




でも、このまま、年をとっていつまでも、末っ子の明日香でいては、

父親が死んだとき

母親が倒れたとき

妙に他人事にしか思えないのではないかと思えてならない。






最近じいさんが死にかけた。

連休中に父親が母親が叔父が叔母が兄夫婦が

入れ違いでお見舞いに行ったらしい。

別に行きたかったわけじゃない。

なんだか行っとかないといけないみたいかも。という感じだ。

自分の中でのじいさんの入院が

明らかに他人事であったことを認識してしまった私は

自分のために行った。他人事にしてしまわない為に。自分の為に。







帰り道、父さんも母さんもこうなる日がくるんだと思ってみた。

きっとお兄ちゃんが上手く働いてくれるんだ。

私はきっと心のどこかで任せてしまうんだ。

で、きっとまた、自分の為にお見舞いに行くんだ。


他人事にしないように。




やっぱり、わたしは、自分が嫌いだ、自覚した。





私は、末っ子の明日香ちゃん、お前が嫌いだ。