たまるかよ。

今日は言葉について考えた。

言葉が与えてくれたものの方が断然多いけれど、

言葉があることによって、私たちが貧しくなったことも確かだと思う。






言葉に頼るあまりに、表現の大半は言葉で補われ、

受け取る側も言葉がなければ安心が出来ない。

少なくとも私はそうだ。






言葉のせいで感受性の乏しい人間が多いのだ。

受け皿がどんどん小さくなる。感じ取れないのだ。

だから多くのものが言葉で補われる。説明される。

そしてまた、それに頼る。





言葉がなければもっとみんなが、嬉しい時は嬉しい顔をして

悲しい時は悲しい顔をして、

楽しければ壊れそうなくらいに大笑いするだろうに。

大事なものはもっと強く抱きしめるだろうし、

無駄な言葉のやりとりなんて何になるのだろう。

言葉の壁、なんだそりゃ、同じ人間だろうが。





モノをつくるという事でも、誰かに気持ちを伝えることでも、

最近よくそう思うのだ。

言葉は私たちをいい意味でも悪い意味でも、複雑にしたのだな。



んぁ、私がここで言いたいのは悲観的なことではなくて、








「言葉にならないくらい」という状況に自分をどれだけしてあげられるか。







それは感動かもしれないし、絶望かもしれない。

どちらともいえない脱帽感とか。

言葉にできないもどかしさが、その人を豊かにする気がする。

言葉の限界を知ってるから、

言葉の力を最大限、自分の知る限り活かそうと努めるはず。

(そういう人たちの言葉は強い。)

言葉にしない。という選択も出来るようになる。

あれこれ、説明なんていらない。

あれこれ、言わなくても伝わって来た。






モノをつくることも、誰かとかかわることも、

言葉に頼ってなんかいられないぞー










余談だけど、

浪人生の時に、陸橋から見た夕焼けを、水彩色鉛筆で描いたものの裏に、

「今日の夕焼けはものすごかった。なんと言っていいかわからない。
でも、このきれいさを誰かに伝えたいと思った。
美大に行きたい理由が一つ、増えました。」

って書いてあった。







そうか、すっかり忘れてたな。





きっと、言葉は残せるから、いいのだな。