あんなに苦労した展示もすっかり元の教室の姿になってしまった。


とにかくうれしかったのは、
いろんな人が見に来てくれたこと。

人に見てもらうということはやっぱり大切なんだなと思うと同時に、
今回の私は、本当にラッキーなだけだったのかもしれないと思う。

あの作品は、「女」というテーマなしには生まれなかったけれど、
私は「女」というテーマに、真っ向勝負はできなかったし、
心のどこかでは、するつもりもなかった。

floraを作ると決めた頃は、やるべきことよりも、やりたいことを。
私らしいものこそを作りたい。
そうおもって、ここまで突っ走って来たのだけど、
これはただ、みんなに認められたり、受け入れてもらえたから
成り立つ話しであって、
そうでなければ、ただの独りよがりでしかなかったのかもしれない。
今回は、私の自己満が、それだけの域に留まらず、
他者の心にも入り込めたのだ。



やっぱり、ある意味では、ただ運がよかったのかもしれない。





こういうことばかりをやっていては、
いつか痛い目に合うに違いない。
賞をとった喜びよりも、これからのモノを創ることへの
不安感ばかりが募っているのが、正直なところだ。
少しは、自分を曲げるということを覚えなければいけないのかもしれない。

自分らしさがどうだとか、
私のセカイ観がどうだとか、
そういうことを言っていいのは、
もっと自分を的確に排除できるようになって
初めて口にできることであって、
自分がやりたいようにしか
手が動かせない人間は
そんなことを訴えるべきではないのだと思った。


ここにきて、原先生の
お前たちのやりたいことなんて、世の中には必要ない。
とか言う言葉が胸に響いてならないのだ。







『理想主義のない現実主義は無意味である。
 現実主義のない理想主義は無血液である』

                   
きっと世の中は思った以上に残酷なんだと絶望しながらも
フランスの小説家ロマン・ロランの言葉に少し救われた。







今日は最後の12下。
学生として食べる学食はMAUランチが最後を飾った。

ここ数日、帰り際に

またね。

って気軽に言うたび、
こんなふうに気軽に言える日も残りわずがなことを
思って、苦しい。